ゆきさと日記

日々の日常、仕事や趣味なこと。描いてます

【スノーボード】やるなら知っておくべきレジェンド「ショーンパーマー」

これが伝家の宝刀ワンフットだ!

f:id:sato-yuki-xyz:20170206200053p:plain

*****

80年代から今まで、常に第一線で活躍していたスノーボード界の名悪役、ショーン・パーマー。黎明期にはミニシュレッドと形容され、まさに滑るために生まれてきた男だ。スピード系種目はすべてこなし、ハーフパイプではトップライダーがリップから何とか抜けていた時代に背丈より高いキャブスピンをメイクし、1994年、第1回開催のAIR & STYLEでワンフットをメイクし準優勝。その後、ボーダークロス(現スノーボードクロス)ではX GAMESの常連となり、マウンテンバイクのダウンヒルでも溢れる才能をいかんなく発揮。天才的な運動神経を持ちながら同時にセルフプロモートの技にも長けていて、世界中どこを探しても彼の右に出る者はいなかった 

1992年、当時のスノーボーダーにはすっかりお馴染みとなっていた、ISF *1公認のワールドカップが北海道のルスツで開催された。今回は、そのワールドカップで実際に起きた都市伝説レベルの出来事。それを20年以上たった今、告白することにしよう。

 当時のワールドカップはルールや規定が世界中で手探りの時代。パイプのサイズは会場ごとに違うし、斜度はもちろんトランジションもヒットごとに違ったりしていた。もちろんパイプドラゴンなんてものは発明されていなかったし、ほとんどのパイプの後半は緩く開いていて、ジブでいうマニュアルとハンドプラントしかできない状態。長さも80メートルくらいなので、どんなに刻んでも5ヒットくらいが関の山。それでも世界中で行われたワールドカップの中で、日本のパイプはダントツの評価があった。1990年の第1回大会でユンボのみで施工した伝説の「完璧パイプ*2」から、翌年はサイズこそダウンしたがリップに丸太を増設したり。とにかく、世界のトッププロのステージに恥じない準備*3がほどこされていた。

 しかし、天候までは主催者側の思いどおりにはならないことが多い。自然環境下で行われるイベントとはそういうものだろう。2月に開催されたルスツのホテル前*4で行われた大会は、公開練習が終わった段階で横なぐりの吹雪となった。ヘッドジャッジ兼MCをしていた私はインカムで、パイプのスターターと独立回線で会話しながら各ジャッジの点数の確認と集計をチェックしていた。この頃は2本の合計が主流。しかもルール的な解釈では、公開練習後に予選で参加者全員が1本滑ったら競技会としては成立し公式成績が出た、そんな恐ろしい時代。

 それでも吹雪は止むどころか、どんどんと強まり、2ヒット目が見えたらそのあとは真っ白。選手はボトム落ちしたり、その逆にプラットフォームに乗っかってからロールインしたりの有様。今ならすぐさま延期か中止だろう。しかし運営陣にその英断を出すのは無理だった。私は指先を凍えさせながらマイクを持って次の選手紹介をした。その選手が2ヒットした後にふたりの日本人ジャッジが「イッシー*5、これ(ジェフ)ブラッシーで合ってる?」と聞いてきた。私はジェフのことを数年前からUS OPENを含め、ヨーロッパのワールドカップで採点している。たしかにホワイトアウト気味の吹雪のなかでも変わった動きに映った。それでもこちらは大会を無事に成立させることが最大のミッション。

 少し時間がたって、2009年に東京ドームで開催されたX-TRAIL JAMに招待ジャッジとして再来日してくれたブラッシーとウェルカムパーティーの晩に、「そーいや昔、ルスツではヤラかしてくれたよなー?」と言うと、「もうあの日は朝から天気悪かったじゃん。だから暖をとるために公開練習が終わったら速攻で部屋に戻ってジャックダニエル*6で暖まってたんだ。それにショーンに誘われたら断れないよ! でもさ、ふたりでボトル一本空けてからの滑りにしちゃ悪くなかったでしょ? 」

www.youtube.com

******

 

スノーボードの歴史を作ってきたひとり。それが「ショーンパーマー」彼の滑りからは想像を逸脱する何かがあった。

いくつもの伝説が語り継がれることとなる。

今日はこの辺で。